陶芸と自然の調和を目指して

当別町での陶芸と町興しのためのアプローチ

陶芸の土と歴史

江別から余市にかけて分布する赤い土は、太古の昔に余市や小樽で後期縄文式土器の制作に使われ、近代には江別で煉瓦を作るために使われてきました。

この赤い土は野焼きという800℃前後の温度で焼かれ、生活雑器や交易品として利用されてきました。

その後、明治の開拓時代になると、江別周辺に広がる野幌粘土と呼ばれるようになり、煉瓦としてサッポロビール工場や北海道庁に使われ現在に至っています。

この赤い土は当別にも分布しており、採土場や山林で露頭していることもあります。

非常に粘りが強いものの細かな砂粒も多く含んでおり、このまま一般的な陶器を作るには少し苦労します。

陶芸に向いた土になるまで

採土場や山林の土は、採取したそのままでは使うことができません。

信楽備前など優良な原土であれば、大きなゴミや石などを取り除くだけで使える物もありますが、そんな優良な原土は既に枯渇しており、市販されているものは原土に似せて作られた合成粘土が多くなっています。

自然採取した原土は、その土の種類や含有成分などの違いにより、粘土にするまでの工程が異なります。

一般的には、土を水に晒して不純物を取り除く水簸という工程の後、上澄みの水を捨てて底に沈んだ土を粘土として利用します。

しかし、土の種類によっては、水簸を行うことで粘土としての利用ができなくなってしまうものもあります。

江別・当別・余市などに産出する赤い土は、まさに、水簸を行うと使い物にならなくなってしまう土であるため、乾燥させ粉砕したものを篩にかけ、細かな土の粒子分を取り出し、適量な水を混ぜてよく揉み込んだのちに、黴が生えるほどの適度な湿度と温度がある場所で1年から2年の間熟成させることで、ようやく単味で作陶できる粘土となります。

また、近隣の水田や山野で採取し、赤い土と同様の処理を施した白い土を少量混合することで、赤い土の耐火温度が上がり、また可塑性も高まりました。

1000℃を超える炎との戦い

古来から現在に至るまで広く利用されている陶器の焼き方に穴窯というものがあります。

地面に穴を掘り、藁や木などを敷き詰め上に陶器を乗せて焼いた野焼きが発展し、オープンになっていた上部をドーム状に土で覆って空気の取り入れ口と吐き出し口を付けるといったもので
地域によっては山の斜面を掘って穴を開けたり、自然の洞窟を利用したものもあります。

従来の野焼きでは、その焼成温度が800℃~1000℃ぐらいまでしか上がらないため、より高温での焼成を求めた結果が穴窯です。

当方では、工房周辺に使わず転がっていたU字抗やコンクリートブロック、煉瓦などを使い、穴窯と同じ条件で焼成できる窯を作り焼成を試みています。

燃料となるものは炭、材木、コークスなどで、焼成中の最高温度は、ゼーゲルコーン代わりに入れておいた融点が1000℃の銅管が溶けて流れたことや、炎風に巻き上げられた木灰が自然釉として素地に焼き付き溶けたことなどを受け、一時的にでも1300℃に近い高温に到達したと認識しています。

現在は、燃料となる材木などが枯渇していますので、陶器の焼成は室内でのゼーゲルコーン方式小型電気窯を利用しています。

当別の土から産み出されるコミュニケーション

当方では、当別町の休耕田の脇を流れる小川で採取したホタルを水槽育成し繁殖させています。

いずれは、このホタルと、当別の土で作ったキャンドルシェードで大きなイベントを行えればと考えています。

当別町には、個人で大きなあんどんを制作されている方がおり、そのあんどんを駐車スペースに配置し、ホタルを育成している池までの道程の足元を、当別の土で作ったキャンドルシェードで照らすというのはどうだろう?と構想を練っています。

また、個人的にヒガンバナも栽培していますので、ホタルを育成している池に蓮や睡蓮を、その周辺にはヒガンバナをそれぞれ植え、ホタルの季節が終わった晩夏から初秋の季節も楽しめるようにできたらと考えており、更にはエゾエンゴサクカタクリフクジュソウなども植えることで、雪解けを終えた早春から楽しめる場所になればと思っています。

当別の土で作るキャンドルシェードは、地元の小中学生や高校、大学の生徒さんや、老人会の方々に中心となって制作してもらい、更には、イベントに賛同してくれる日本各地の陶芸家の方々からもオリジナル作品を出品していただけるようなキャンドルシェード・コンテストを開催できればと思っています。

また、このキャンドルシェードは、夏のホタルの季節ばかりでなく、当別町で2月に開催される"あそ雪の広場"に合わせて、当別川を挟んで対岸の河川敷において、様々なイルミネーション展示と共に点灯できればと考えています。

このような小さなことの積み重ねが年月を経て、多くの人々とのコミュニケーションにつながっていくと考えています。

そして、それこそがまさに町興しというものに繋がっていくのではないかと提案します。

当別赤土と当別白土との融合

殆どの場合、陶芸で制作する器は、日常的な使用に耐えられるよう釉薬を施すことで、その表面をガラス化して吸水性をなくし、汚れにくくしています。

そして、この釉薬が溶けてガラス化するように1200℃から1300℃ほどの高温で焼かれるわけですが、当別赤土の場合、単味ではこの高温には耐えられず、溶けて泡立ったり、歪んだりしてしまいます。

また当別白土に至っては、単味では可塑性が低く器すら作ることができません。

しかし、この2種類の土を適度な割合で混合することで、信楽土に似たような風合いの上質な土となります。

単味での焼成では赤煉瓦に近い濃い目の臙脂色となりますが、調合後には明るい肌色となり釉薬の乗りも良く、程良く焼き締まるようになります。

この当別赤土を素焼きし、様々な種類の釉薬を施すテストを繰り返した結果、釉薬の発色の妨げになるような成分は含まれておらず、期待通りの発色を齎します。

現在は釉薬や化粧土の生掛けのテストを行っていますが、特筆すべき問題点も無く、1300℃の焼成温度にも耐えられるものとなっています。

町興しに向けた角度の違うアプローチ

当別の山林には多くのヤマブドウがあり、このブドウを発酵熟成させることにより上質のワインを造ることができます。

当方では、余市のブドウ農園の協力を得て、カベルネ・ソーヴィニヨンナイアガラアルモノワールなどのワイン醸造に向いた品種のブドウの他、当別の山林に植生しているヤマブドウを移植し栽培しています。

ワイン醸造に向いた殆どのブドウの原種はヤマブドウで、日本では、ヤマブドウとカベルネ・ソーヴィニヨンを掛け合わせ、ヤマ・ソーヴィニヨンという寒冷地に強い品種も作られています。

当方で栽培しているブドウは、今後、当別産ワインとして当別の町興しのきっかけになればと考えています。

これまで、余市のブドウ農園より分けていただいたカベルネ・ソーヴィニヨンやナイアガラ、当別の山林で採取したヤマブドウ、当別の棚村農園より分けていただいたキャンベル、札幌の個人宅より分けていただいたレッドグローブ、当方の庭で採取した洋ナシなどを、ヨーロッパより入手したワイン専用酵母を使用し、アルコール度数1%未満のワイン醸造に成功しています。

当別町には休耕田も多く、荒れたまま放置されているケースも少なくないのが現状ですので、いずれはブドウ農園として、生食ではないワイン専用のブドウ栽培ができればと提案しています。



また、個人的な趣味として肉や魚の燻製を作っており、近年食用として販売されるようになったエゾシカの肉を当方で醸造したワインで漬け込んで燻した燻製は、ワインのつまみとしてよく合います。

他には、瀬棚町の上村牧場より分けていただいた牛乳からカードを取り出し、ロックフォールを利用して青黴を移し、ブルーチーズを作ったり

札幌のいつもコーヒーから分けていただいたコーヒーの生豆を、自作のコーヒーロースターにて自家焙煎しています。



今のところ、当方で行っていることの全てが独りよがりでしかなく本格的な活動とはなっていませんが、いずれは当方の試みに賛同・協力していただける方が増え、当別町の財産として受け継いでいただければと考えており、その際には無償にてノウハウを提供する心づもりでおります。

BIOGRAPHY

76年 札幌にて音楽活動を開始。
ギター・キーボード・サックスおよび作詞・作曲にて多くのバンドに参加。

77年 複数台のカセットレコーダーを使用した多重録音を始める。

81年 札幌市白石区にてライブハウス「STEELY DAN」を出店。
81年 MTRによる多重録音にて音楽制作を始める。

82年 Fly Fishingを中心としたOutdoor Lifeを始める。
82年 マクロレンズを中心としたNature Photographyを始める。

83年 魚や肉を使用した燻製の研究を始める。
83年 YAMAHA音楽専用パソコンにて音楽制作を始める。

84年 古代日本神話と後期縄文時代の文化に興味を持ち、独学による陶芸を始める。

84年 すすきのにて「bar SeiSe」出店。
84年 Disco ClassicsやHouse、Euro beatを中心としたDJとしてClubなどで活動。
85年 2号店「bar SeiSe」「Pub Save Our Souls 1991」出店。

86年~「cafe エーダ」「cafe グラスホッパー」「Bar C-RISE」ほか、
カラオケ・ボックス2店、ラーメン店2店出店。
定山渓にて「スナック渓々」出店。 その後、飲食店数店をプロデュース。

87年 アウトドア雑誌にコラムを寄稿後、作家活動を始める。

97年 「bar 30-30」を出店。

00年 Flash使用によるHomepage製作を中心としたWeb Designを始める。

01年 Web Designに伴うデジタル写真撮影を始める。

02年 「スナック魔法のランプ」「bar SABO.ε」2店舗同時プロデュース。

03年 8月 「bar Twenty four - Seven」出店。
03年 10月 パソコンを使用した「DTM」による音楽制作を始める。

04年 5月 「Pub Hollywood Cafe」をプロデュース。

05年 2月 インターネットラジオ「RADIO-kinugasa-BROADCAST」開設。

06年 4月 「Cafe bar badonkadonk」開店。
06年 5月 ハム・ソーセージの自家製造および販売を始める。
06年 6月 手打ちパスタ、および手打ちそばを始める。

09年 8月 Groovin' Style Bar 「Moves」開店。
09年 10月 札幌で活動するバンドのライブおよび、J-POPイベントのプロデュースを始める。

10年 11月 Dogrun & Dogcafe 「北のあずまや」をプロデュース。
10年 12月 ゲンジボタルによるホタル育成プログラムを開始する。

11年 2月 自作の焙煎機によるコーヒーの自家焙煎を始める。
11年 5月 当別町にて「ほたる窯」開設。
11年 6月 当別町弁華別にて採取したヘイケボタルの育成・繁殖を開始する。
11年 7月 本州由来のヒガンバナと蓮の栽培を始める。

12年 9月 余市由来のカベルネ・ソーヴィニヨンと、当別の山林に自生する山ブドウを始めとしたワイン醸造用のブドウの栽培を始める。
12年 10月 地元山ブドウによるワインの醸造研究を始める。

16年 6月 三笠市幌内に「ほたる窯」移設。
16年 6月 三笠市幌内に、観光の起爆になるであろう泉を発見し「月光池」と名付け、インターネットなどにて紹介する。
16年 10月 三笠土の研究および作陶を始める。

17年 2月 月光池の30秒PVをDTMにて制作し発表する。

The 78th Album The Horonai

■■月光池に関するその他のPV

The 73th Album 月光池 三笠市幌内
The 76th Album 月光池 晩秋

20年 8月 自家栽培小麦と山ぶどうから抽出した天然酵母による100%自家製パンの製造を始める。

21年 2月 「Synthesizer V 」を使用した「ボカロ曲」の制作を始める。